
包丁の歴史
日本庖丁
和包丁は本来、庖丁と書いていた
庖とはくりやすなわち調理場のことを言い表しています。
丁とは男ということなので庖丁とはくりやの男つまりは調理人、現在でいうところの板前さんのことである。
調理人ならばだれでも庖丁というかと言えばそうではない。
中国古代の書物、荘子に出てくる梁の恵王(文恵君)に仕えた伝説的名調理人、庖丁さんの固有名詞とされている。
その時代まだ調理には刀が用いられていた、庖丁さんの愛用した刀なので庖丁刀でありその刀を省略して庖丁と呼ばれるようになったという。
日本刀型

奈良時代
日本最古の現存する庖丁は上のイメージ画像のような
奈良の正倉院にある
名前こそ庖丁だが長さが総長38cmと41cmもありツバのない日本刀のような姿だ
江戸時代
には料理人が大きなまな板の上で魚肉を箸で差し出している場面の絵がある。
まな板の上には片刃らしい日本刀型の包丁が置いてある。
長サ目貫穴ヨリ九寸、マチヨリ目貫穴ノ間一寸。
然バ身ハ八寸ト心得ベキナリ。
担剣形ノ刀也。
峯ノスリ様ハ丸峯ニスリテ、サキニ角有ベク候。
口伝二有。
本節ニハ、柄二赤木又ハ朴ヲ用ユベシ。
努テ桧ヲ柄用ル事有ル可カラズ。
担劒形ノ刀二アラズトイエ共、寸法ノ事ハ同前成ベシ。
口伝コレアリ。
この剣型包丁は日本刀型と全く違い不動明王の持つ剣に近いが現行の四条御家流の式包丁に近い形で、同流派は、最も古式の庖丁を庖丁式に使っていることになる。
式庖丁
日本刀型包丁の幅を広くしアゴのついた形、剣型の包丁を別にすると現代の庖丁式では全てこの形の包丁が使われているので式庖丁方と呼ぶことにする
この頃は式庖丁全盛の時代で現代の薄刃、出刃、柳刃は全く姿を表さない。
出刃庖丁・かしわ庖丁
1684年刊行の堺鑑には出刃庖丁について次のようにある。
魚肉ヲ調理スル庖丁他国二優レ、当津ヨリ打出スヲ吉トス、ソノ鍛治出歯の口元ナル故、人呼デ出歯庖丁トイエリ、今二至ルマデ子孫絶エズ。
この文章によれば1684年より前に出刃包丁が存在したはずなのだが現在の出刃やその前進のものの姿さえ見当たらないという。
1690年〜1710年
堺の文殊四郎やその門人の氏貞らが出刃、薄刃などの料理庖丁を作り山の上鍛治と呼ばれたという。
1754年刊の
日本山海名物図絵の堺庖丁には
泉州堺山上文殊四郎、庖丁鍛治の名人也、正銘黒打と云、刃金のきたひよく切れあじ格別よし、出刃、薄刃、差身庖丁、まな箸たばこ庖丁何れもみな名物なり。
荘子にいはく庖丁能く牛を解く、庖丁は元は調理人の名前也。
その人つかひたる刃物なればとてつゐに庖丁を刃物の名となせり。
むかし何人かさかしくもろこしの故事を名づけそめけん。
今は俗に返してそのなひろまれり。
と庖丁の名前の由来まで出ている。
薄刃庖丁
野菜、精進用には先丸包丁が使われた。
1830年頃を最後として、先も元もほぼ同じ幅の四角い現代の薄刃包丁型に移り変わっていくようだ。
柳葉包丁
1849年、1847年以前には文献が見当たらず現在広く使われている包丁では最も新しい部類になる。
江戸鰻裂き
現代の鰻裂きはごく新しく、1847年、1856年刊の文献しか見当たらない。
鰻裂きは、東京、名古屋、大阪、京都など各地で全く違う包丁を使っているのだで資料の少ないのもそのせいでしょうか。
参考文献 包丁と砥石